2021年に公開された映画『花束みたいな恋をした』は、そのあまりにもリアルな恋愛描写で話題となり、多くの観客の心を掴みました。
脚本を手がけたのは坂元裕二さん。
『カルテット』や『大豆田とわ子と三人の元夫』などで知られる、日常会話の奥にある感情を繊細に描く名脚本家です。
そんな坂元作品に清原果耶さんが出演することで、物語にさらなる透明感とリアリティが加わりました。
本記事では、映画『花束みたいな恋をした』における清原果耶の存在感と坂元裕二の脚本術を軸に、青春恋愛の“リアル”を掘り下げます。
『花束みたいな恋をした』作品概要

『花束みたいな恋をした』は2021年1月に公開された土井裕泰監督による恋愛映画です。
菅田将暉演じる山音麦と有村架純演じる八谷絹の5年間にわたる恋愛関係を描いた作品。
終電を逃したことがきっかけで出会った二人が、甘い恋愛期間から現実に直面していく過程をリアルに描いています。
坂元裕二氏の脚本は、恋愛の理想と現実を等身大で表現し、多くの観客に「自分たちの恋愛みたい」という共感を与えました。
清原果耶が演じた羽田凜のキャラクター背景
清原果耶さんが演じたのは大学生・羽田凜。
物語中盤、麦と絹が幸せな同棲生活を送っている頃に登場します。
凜は麦の就職先で知り合う後輩で、純粋で一生懸命な性格。
彼女の存在は単なる脇役ではなく、麦と絹の関係に微妙な変化をもたらす物語に欠かせない存在です。
凜の初々しさや真っ直ぐさは、かつての麦と絹自身を映し出す「鏡」のような存在であり、観客にとっても過去の恋愛を重ねやすい人物像として描かれています。
清原果耶の演技が描き出す”青春恋愛のリアル”
羽田凜(清原果耶)と水埜亘(細田佳央太)は、物語後半に登場する大学生カップル。
彼らは、麦と絹がかつて抱いていた“恋のはじまりのまぶしさ”を象徴する存在です。
清原さんの透明感ある演技は、観客に「あの頃の恋愛ってこうだった」と強く思い出させてくれます。
価値観の一致で盛り上がるシーン
好きな音楽や映画の話で自然に意気投合する凜と亘。
これは麦と絹が出会った頃に「トイレットペーパーのシングル派」で盛り上がった瞬間を重ねて見せる構造になっています。
清原さんの嬉しそうな笑顔が、初恋特有の「偶然の一致の喜び」をリアルに体現していました。
一緒にいるだけで幸せな描写
手をつないで歩いたり、ただ並んで笑い合うだけで満たされている二人。
清原さんの無邪気で自然な仕草が、まさに「恋をするだけで世界が明るく見える」時期を鮮やかに映し出しています。
未来を信じ切る眼差し
将来についての具体的な保証はないのに「きっと一緒にいられる」と疑わない二人。
清原さんのまっすぐな目線や少し照れくさそうな表情から、青春の純粋さと同時に、その儚さがにじみ出ていました。
このカップルの描写は、ただのサイドストーリーではありません。
麦と絹の「かつての自分たち」を思い出させ、現在との対比を際立たせる形になっています。
清原果耶さんの存在感があることで、物語全体に“青春恋愛のリアルさ”が深く刻まれていると感じました。
坂元裕二が清原果耶を起用した理由
坂元裕二さんが清原果耶さんをキャスティングしたのは、彼女の持つ“透明感”と“自然な感情表現”が作品に欠かせないと判断したからです。
坂元作品の魅力は、日常の中にふと現れる本音や、言葉にしきれない揺れ動く気持ちを丁寧にすくい上げるところ。
だからこそ「演技が作り物っぽく見えない俳優」が必要で、その条件に清原さんはぴったり。
実際、坂元裕二さんも「清原さんの透明感や、若い世代ならではの痛みや憧れを観客と共有できる」と語っています
出典:【eiga.com】【シネマトゥデイ】
清原果耶さんも「脚本を読んだ時から、この世界観の中で演じたいと思った」と話していて、作品への共感も強く持っていました。
つまりこの起用は偶然ではなく、青春の“みずみずしさ”と“リアルな痛み”を描くために清原果耶さんが最適だった、という明確な理由があるんです。
まとめ|『花束みたいな恋をした』清原果耶×坂元裕二の魅力
『花束みたいな恋をした』での清原果耶さんと坂元裕二さんのタッグは、「リアルすぎる青春恋愛」をしっかり伝えてくれまさした。
清原さんが演じた羽田凜は、主人公の麦と絹がかつて過ごしていた頃を思い出させるような存在。
彼女の透明感ある演技は、恋の始まりのまぶしさや切なさをそのまま映し出していて、観ているこちらも「あの頃こうだったな」と自然に重ねてしまいます。
そして坂元裕二さんの脚本は、何気ない日常の会話に隠れた本音や揺れる気持ちを丁寧に描いていて、物語にリアリティが増していました。
だからこそ『花束みたいな恋をした』は、多くの人が自分の恋と重ねてしまう作品になったんだと思います。
清原果耶さんと坂元裕二さん。
この組み合わせだからこそ描けた青春の輝きと切なさが、今も世代を超えて共感を呼び続けている気がします。
